先日、夫方の父の納骨式があり、京都の納骨堂まで行ってきました。納骨式の後、南禅寺の名物である湯豆腐を食べ、ついでに南禅寺を少し散策してから親戚とは別れました。
私と夫は二人では京都に行ったことがなかったので、せっかくだからどこかデートしてから帰ろうと考えていて、今回は比叡山にある、「ガーデンミュージアム比叡」というところへ行ってきました。
朝から大雨だったので、もし雨がやまないようなら無難に京都水族館でも行くかと考えていたのですが、湯豆腐を食べていたらどんどん空が晴れ上がってきたので予定通り決行することにしました。
ガーデンミュージアム比叡という所は、印象派の画家が愛した風景を再現し、そこにその画家が描いた絵を陶板画にして飾ってある、美術館と観光庭園の融合という施設なんですが、本当に行って良かったです。
普段は朝から夕方までしか営業していないのですが、夏の間だけナイター営業をしていて、見事な夜景も楽しめる一石三鳥スポットとなっているのです!!
京都と滋賀の夜景を見ながら、庭園の雰囲気を最大限に活かした主張しすぎない電飾とキャンドルでライトアップされた花々、そしてモネを中心とした印象派の画家たちの素敵な絵画・・・。もうヨダレもんです。
個人的には私は印象派と言われる画家たちが特に好きだとは思っていませんでした。綺麗だなとは思うけれども琴線には触れないといった感じだったのです。
ところが、今回モネの絵画(厳密に言えば陶板画なのでコピーですが)を見て衝撃を受けました。本物ではない絵を見てこんなに衝撃を受けたのは初めてでした。特に強く心を打たれたのが、モネが愛してやまなかった睡蓮シリーズの中の一枚です。
季節や時間によって変わる光、水の揺らめき、それらを映し、また反射する睡蓮の花や水面、そして注意深く目を凝らすと見えてくる水の中の世界。。。同じ庭、同じ池でも一瞬たりとも同じ風景は無いというモネの視点で描かれた数々の水連は本当にどれも全く別の絵画として成り立っている。
幼かった私の精神ではもっと解り易い絵画にしか反応できなかったのだなと気づかされました。そしてモネのこんな言葉を知り、この穏やかな絵画の中に凄まじい情熱が宿っていることを知り震える思いでした。
「私が生まれながらに盲目で、ある日突然目が見えるようになったのだったらどんなに良かっただろう。そうであればこの光を、色を、もっと鮮やかなものとして見つめることができたに違いないのに。」
自分にとって当たり前のものを当たり前として享受していることで、自分の中のいろんなものが鈍っている。普通に暮らしていれば鈍っていることにすら気づけない。モネは光を描くことを追い求め続けることでいろんなものが普通の人とは違って見えた。そしてそれを表現し続けた。
私の視点は今、何を見ているのか。私は表現者ではないけれど、これから人の人生に踏み込む仕事をしようとしている者として、決して鈍っていてはいけないし、自分勝手な決め付けで物事の色を塗り潰してしまってはいけないと思います。
ありのままの姿をありのままの色で見つめる。非常に難しいことだと思いますが、大切にしたい想いをひとつ見つけることができた貴重な一日でした。
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